2006年12月07日

「パプリカ」問題点@二つの意図的引用

先週末、今敏監督「パプリカ」を見に行ってきた。

筒井康隆ファンにとっては、夏の「時をかける少女」に続いての映像化であり、
且つ、筒井作品の真骨頂である、夢テーマ、
そして「夢(虚構)から現実への侵攻」という、
最重要モチーフを扱った傑作の映像化であり、快挙と言ってよい事件である。
実際、年長の筒井ファンや、ツツイスト以外の映画ファンにも絶賛に近い評を受けている様だ(また海外でもウケ良いのはうなずける)、、、、が。

少なくとも押井守ファン、そして「イノセンス」をご覧になった方は、複雑な気持ちに囚われる筈だ、、、、。
押井守と筒井康隆のファンというのは相当数カブッていると思われるので、
一方的に「イノセンスのパクリが多すぎる!」とキレるというは少なくて、
「うーん」と腕組みして唸ってしまった方が多かったのではないだろうか。

ちなみに「パプリカ イノセンス」でググってみると、既に二作品の類似点を列挙したブログなどもあり、指摘されてる点もほぼ俺が感じた点と同一だったから、冒頭から類似点を列挙するやり方は避けて、より本質的な問題、
すなわち、

「原作の第二部まで、そしてクライマックスの映像化まで踏み込んだのは戦略的失敗だったのではないか?」

という疑問を考えていきたい。

つまり俺としては、
「今回の映画化では、第一部の粉川警部への夢治療に舞台を限定すべきだったのではないか?」と言いたいのである。

まず、上で取り上げた二作品の類似点については、これから議論が重ねられるであろうが、既に他にも記事にした人がでた、という事はそれぐらい明確な類似だという事でもあり、つまり意図的な引用であると考えるべきだろう。

(12/9追記:その後方々観て廻ると、イノセンス以外の引用に関しても指摘する記事が多く出ている。これらに関しては俺が気づけたものも、そうでないものもあった。いずれにしても、以下に述べる古典映画の引用とは意味合いが違ってしまっている点では同じ事である。)

監督は既に各種媒体で、引用は意図的なものである、と述べている。
すなわち、「夢の仕組み」を語る上での、一般に馴染みやすい枠組み設定、
「準拠枠」として、必要な仕掛けであったと述べているのだ。
(準拠枠については同じく筒井作品の「朝のガスパール」にて判り易く登場しています。)

劇中登場する、「ローマの休日」「ロシアから愛をこめて」「ターザン」等の古典映画は、そもそも原作に於いても、重要な夢の舞台装置として登場していた筈で、この映画版では粉川警部のトラウマと、パプリカの助けを借りて行われるその克服を描く上での背景として、「これは夢の中」という枠組みを明示するのに役立っている。

しかしこの映画では、上記古典映画以外に、本来は対になる様に配置されるべき、数多くの引用が登場する。

この映画の一番の売りである、冒頭からの悪夢のパレード、あれは本来、
筒井康隆同様の映画少年だった粉川警部の映画の夢に対応するものとして、
原作には無い、今敏世代以降のオタク少年たちのアニメのガジェットで埋め尽くされた、無意識世界を組み込んだものでは無いかと思われるのだ。

posted by めたろう at 12:51| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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