2007年01月04日

パプリカその3

パプリカ公式HP内のブログで
今監督が「7つの手引き」と称して解説を連載中。
http://blogs.yahoo.co.jp/paprika_movie

これが大変興味深く、原作も読み返してないし、
上記が完結するまで待とうかとも思うが、
とりあえず現時点でのまとめに行ってみようか。

上記解説では、どうも俺が2回目で指摘した様な
「オタク世代に対する目配せ」みたいな意識は薄いみたい。
1回目で書いた様な「映画世代」寄りの立場である様だ。

それから、原作の夢/無意識VS現実の構造論にも相当意識的であったようだ。
が、作品では十全には意図が読み取れんところがあった。何度もみれば分かるのかも知れないが、
問題は、
「映像を持って語らせる」戦術を優先した監督の意図や、
アニメという、情報が均質化しやすいメディアで、
意識→無意識といった階層的な構造を描くのが賢明だったかどうか、
にある様に思われる。

単純に言うと、「現実世界に無意識が侵略してくる」クライマックスを描くのに、アニメはなじまなかったのではないか?のでは無いかという事。

アニメというメディアは、実写より情報量が少なく、
その代わり作り手の意図が整理されて伝わる利点がある。
当たり前だが、アニメは現実よりも夢や無意識により親和性が高いメディアだ。

アニメを使って、「現実世界に無意識が侵略してくる」クライマックスをやると、「夢なのか現実なのか分からない」状況に関しては威力を発揮するが、「現実がおかしくなってゆく」迫力に関しては弱くなるのではないだろうか。
少なくとも俺には、クライマックスのラスボスとの対決より、中盤で、研究所員がDCミニの攻撃で発狂させられ、七五調の演説を喚きながら暴れるあたりのほうがインパクトあった。
この手のサイコねたは、やっぱり腰を据えて、抑制したリアリズムに行った方が怖さも出るし、原作の怖さヤバさはそのあたりにある筈なのだ。

こういう夢→現実の階層論構造論に関しては、
(今監督は顔をしかめるだろうが)押井守監督がより上手くやれたんではないか、と、どうしても思ってしまう。
ずっと取り組んで来た事だし、
「アヴァロン」で「この手があったか!」と思わせられた方法を既に使ってるし。(勿論、エンタテイメントとして面白かったかどうかは別)
押井守監督に「朝のガスパール」を実写のフェイク・ドキュメンタリーにさせたら、、、。とか考えてしまう。

となれば、本作で今監督が、「映像で語らせる為に物語を作る」方針を採ったのは頷けるが、であれば、もっと徹底して「夢→現実 の越境」については切り捨てて良かったのでは無いか?ラスボスの存在、要らなかったのじゃないか?

筒井ファンとしては、「あのクライマックスをホントに映像化しやがった!こいつアホじゃ!」と賞賛したい気持ちもあるのだが、
せっかくだから、原作に遠慮せずにもっと勝負球を絞って、我を押し出して良かったと思う。

OPから、序盤の粉川の夢の中を疾走するパプリカの勇姿のかっこええ事!
連想で夢舞台を飛躍しつつ七変化したりとか、今監督がオリジナリティを発揮した場面はスピード感にあふれ、カッコよく愉快なエンタテイメントになっていただけに、原作を押さえようとした終盤が、すっごいベタなヒーロー物のパロディで終わってしまったのが残念なのだ。




posted by めたろう at 11:02| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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