2005年06月18日

「狸御殿」続き

改めて、NETで幾つか「狸御殿」のレビューを見て回った結果、どうやら諸々の整合性の無さが鈴木清順監督のスタイルらしい、と判っては来たのだが、、、、。場面転換の飛躍、とか、編集の乱暴さ、みたいなのは仕方ないと思うんだけど、、、。

例えば後半の狸御殿の大広間での合唱シーンで、家老狸のソロパートでは音楽がかぶせてあって、おそらくアフレコして、他のミュージカルシーンとすり合わせがしてあるのに、その後の、侍女4人衆の一人がソロを取るパートが、全く未処理の、その場の音をそのまま使った、「素」に近いモノが使われていて、ナンカ納得できないのだ。
おそらく、音楽的な能力の低い面子が集まってしまった狸御殿のシーンで、この侍女狸が飛びぬけて歌えていたもんだから「そのまま使おうよ」てな感じで行っちゃったんだろうなと思う。
ただ、一つのシーンの流れの中ですら纏まりが無いと言うのはあんまりだ。
俺としては、例え歌の能力にバラつきがあっても、舞台的な「素」の音で統一するか、加工するか、どちらかにして欲しかった。

この作品は、例えばCGと実写と舞台とアニメ(は登場しないが)をミックスしたようなさまざまな肌合い、バラバラなレベルの映像が同居している。特撮映画の様に、全く違う世界観のシーンが同一の世界におかれていて、しかも双方のすり合わせをしない。
芝居のスタイルにしても新劇・ミュージカル・時代劇などバラバラなスタイルを同居させているのが、そもそもの狙いなんだろう。
だから部分部分で、魅力的なシーンが頻出するのは確かだ。
パパイヤ鈴木とオダギリ・ジョーの掛け合いのシーンなんかが良い例で、パパイヤ氏の音楽的能力、エンターティナーぶりを堪能できる。おそらくオリジナルの「狸御殿」を見たりもしてるのじゃないかと思われる。
パーカッシブルな狸御殿のダンスシーンにも見どころ満載だし、CGの書割の中での主役二人の掛け合いも素晴らしい。
でも、そうした断片をどうやってつないでゆくかに関してあまりに無関心なのだ。

俺が思ったのは「できの悪いシーンはがんがん削って、岸田今日子のナレーション入れて、幼稚園前の子供向け、親子向けにすれば良かったんだ」とか「スタジオジブリと組んで、アニメパートも入れちゃえば良いのに」と言う事だった。ホントに小さい子なら、偏見無く受け入れる世界だと思うんだがなぁ。
誰に向けて見せるつもりなのかさっぱり判らないのはあんまりだ。

俺が不満なのは「オペレッタ時代劇の復活」という制作意図が、この監督でなければ、本当に実現する可能性もあったんじゃ無いか、という思いがあるからだ。

その実例として「真夜中の〜」とマツケンサンバ(ミュージカル暴れん坊将軍)を上げるつもりだったが、長文なので更に繰り延べ。
posted by めたろう at 09:58| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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