2005年08月29日

伊集院光の思い出

知人のブログにコメントしようとしたら、長文すぎてエラーが出たので、こちらに書いてTBする事にしよう。

俺にとっての
「最後のラジオパーソナリティ」伊集院光。

いまを去ること十数年前。俺は磯子にあった予備校の寮に住んでいた。

バブル絶頂期を象徴するかのごとく山の上に聳え立つ横浜プリンスホテルに見下ろされながら、下町の路地裏、町工場の裏の日の当たらぬ部屋で、陰々滅滅の日々を送っていた頃。
夜中の3時過ぎに偶然聞いていたオールナイトニッポン二部に現れたのがオペラ歌手、伊集院光であった。俺はまんまと騙された口で、ハンサムな優男が毒を吐き続けるイメージを抱いたのだが、しばらく後にオペラ歌手と言うのが出鱈目で、あのルックスである事を知って大ウケし、以後深く心酔するようになった。

当時のネタは覚えていないが、その後、ANN一部に昇格し、ラジオバーチャルアイドル「芳賀ゆい」やら、「全裸マン」やら、馬鹿企画力にあふれた大活躍を続けたのは周知の通り。
その後、ゴールデンで毎日番組を持つようになると内容がどうしても薄まって行き、彼の番組からも遠ざかる事となった。

それから何年後であったか。
紆余曲折ののち、彼がニッポン放送を追われてTBSの深夜に現れた頃には、俺は30近くになっていた。
恐ろしい事に、あらゆる意味で予備校時代とあまり変わり映えしない人生。10年前には「将来必ず横浜プリンス最上階に連泊できるような身分になってやる」と思っていたのに、、、。

なので、TBSで再び、しかもより深化した毒をまきちらす伊集院に再会した時は、実ーーーーにうれしかった!
TBSにおいては例えば「えなりかずきは童貞か否か」というネタでイジメだと抗議を受けたりといった按配で、もうやりたい放題を続けて今日に至るわけである。
当時、もはやAMラジオ文化は老人向け番組と声優に占拠されて復活する事はかなうまいと思っていただけに喜びはひとしおであった。

しかしながらネットの勃興により、かつてのハガキ職人に相当する才能たちは2CHあたりに屯したり、自身で情報発信するようになり、やはり純粋なAMラジオの馬鹿文化は衰退に向かうのではないかと危惧される今日においては、強力な企画力を保持し続ける伊集院光という人は「最後のラジオパーソナリティ」であるように、俺には思われるのだ。
posted by めたろう at 21:43| 埼玉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ばか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ラジオといやーANNだね。おれは一般人なので、火曜のとんねるずと木曜のたけしのがすごく好きだった。土曜のUNはあまり聞かなかったなあ。
残念ながら中島みゆきの月曜ANNは機構と思ってた矢先に終わってしまったのだが。
あのころは若かった。高校の頃はANN二部とか聞いて授業中寝まくってたなあ。
Posted by K at 2005年08月29日 23:55
うちの企画ブログにTBありがとうございます。
企画担当・松下です。
こういう反応は嬉しいものですね。
うちのあの企画は、自分たちが影響された人や物を積み重ねていったら、自分たちのプロフィールじみたページが出来るのではないかと言う思いで作りました。まだクロム舎の公演を観た事がない人へのヒントになればと思います。書く事で自分も自分で整理して、次につなげていきたいです。
伊集院光への思い、受け取りました!ありがとう!
これからもたくさんの先輩を紹介していきますので、クロム舎を今後ともよろしくお願いします。
Posted by クロム舎・松下 at 2005年09月01日 08:01
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/6358513

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。