2005年03月22日

「ローレライ」レビュー 

2月下旬付のブロスの「専務の異常な愛情」でのお勧め記事で期待して、
そしてなによりピエール瀧が見たくて、「ローレライ」見てきました。

すごいじゃん。よくやった!って感じ。
帰宅後ぐぐって見ると、辛口評も多いけど、こりや大したもんだと思うけどな。

ぐぐって出てくる、この作品への評として「敢闘賞」「戦闘・戦争ファンタジィー」というのがあったが、俺も同意見。
例えば、サプライズのある作品では無いが、意地悪な観客がこの手の作品に課してしまうハードルは遥かに越え得たのでは無いかな、と思える作品。

誤解を呼びそうな表現だが、ピエール瀧の演技は、この作品の傾向、レベルの象徴だと思う。
正直、あそこまでの難役をこなしてしまうとは思ってなかった。
彼がやる以上、ありがちな古参兵のステレオタイプ、狂信的で、暴力に頼る旧軍の兵隊を演じるのだろうという予想をあっさり乗り越えて、重い背景のある役柄を、うそ臭くならずにこなして見せたのだ。

これは作品全体にも言える事で、そもそも作品のキモである「ローレライ・システム」というのが、相当SF色の強い小道具で、一部アニメ的との批判も出ているのも止むを得ないところがあるのだが、しかし陳腐化するかなり手前で踏みとどまって、エンタテイメントを支える嘘、虚構として機能している。
「戦争物」に「原爆」「反戦要素」も含め、「潜水艦」に「美少女」を乗せ、SF的小道具が秘密兵器として登場するとなれば、さじ加減を間違えれば、陳腐極まりない内容になりかねない。
この手の内容を手がけること自体、冒険、暴挙と言って良い。

それを、スタッフ・キャスト共に、制約を乗り越え、(制約を味方にできた部分もあったろう)陳腐化させず、うそ臭く成らないレベルへ持っていった事は賞賛されて良いのではないか。

もちろん、力及ばずの部分も多い。
CG濫用の絵作りは非難も止むなしかとは思うが、俺は気にすべきでは無いと思う。
むしろドラマにおいて、大戦中の旧軍の狂気のような、戦争映画としてのリアリティを人物造詣で作り得なかった事を問題とすべきだと思う。登場人物の内面造詣は殆ど現代日本人のソレだからだ。
劇中、反戦的なメッセージが登場するが、これも2005年現在の価値観に寄っていると思われる。

けれども作り手、キャストが、自分達が当時の世界観や人物造詣の重さを描ききれない、その限界についてキチンと把握し、限界を踏まえた上であえて今日的メッセージ、現代的人物造詣としている事によって、エンタテイメントを支える嘘に昇華出来ているのだと思う。

ただし、回天特攻隊員の2人、そして「ローレライ」の美少女パウラの3人は、やや力足らずになってしまったかなぁと思う。類型的、それこそアニメ的な美少年、美少女になってしまい、この辺がファンタジィになったゆえんでもある。3人の生死の物語は弱く、お約束臭が付きまとう。
物語の終盤、彼らに対して艦長が「子どものお前達にここまで頼ってしまった」と詫びるシーンがあったが違和感があった。
3人のキャスティングは高校生〜大学生位の年に見えるからだ。この3人は思い切って子役にすべきだったかもしれない。
その方がグロテスクさがより強調され、反戦メッセージも強化されたろうし、ファンタジィ色が強まり、違和感が和らいだはずだ。
その辺は、商業的な都合が優先されたキャスティングの様に思われる。

一方、それ以外のキャストの頑張りは目を見張るものがある。
艦長以下、副長、機関長、軍医、そしてピエール瀧扮する掌砲長、いずれも抑え目の、同時に内に秘めた物を明示する、誠実な人物造詣に成功していたと思う。

「最後まで諦めない」「死んでいった者への勤めとして目の前の仕事をこなす」といった内容の台詞が繰り返し登場するが、正しく、今作品のスタッフやキャストの姿勢を、誠実さを、あらわしている台詞だと思う。


posted by めたろう at 00:52| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月17日

ステインボーイ

週明けから急に仕事が忙しくなり、更新しないでいたらたちまち5日も経ってしまった。

とりあえず、以前チェックしといて未見だった、
ティムバートンのFRASHアニメ「ステインボーイ」
http://jp.shockwave.com/animations/stainboy/home.html

のレビューで埋め草としよう。

何かもっと「ナイーブな少年がめげつつ日々を暮らす」みたいなリリカルなものを想像していたが、ヒーロー物カートゥーンのパロディだった。乾いたブラックユーモア系。

第一話で、じーーーと目を見てくるだけ攻撃の少女と対決するものだから、てっきりこの少女とねんごろになるのかと思ったが、外されるズッコケのラスト。
第一話で大体作品の路線がわかるようになってます。

ちなみに私のお気に入りは「マッチガール」
昔の彼女なんだけど、やっぱり、、、、、。

うーむ。
やる気がでないのでおやすみなさい。
posted by めたろう at 21:45| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月12日

トムとジェリー「土曜の夜は」

金曜に風邪ひいて久しぶりに熱出した。インフルエンザでなくて良かったーーー。
というわけで、今週末も「謹慎するしかないと思っております」

土曜日だから、というわけではないが、前々回の記事「Mr インクレティブル」レビューの補足として、かなり以前で知り合いの掲示板に書込みした、トムとジェリーに関しての記事を転載しておく。

「トムとジェリー」は数あるカートゥーン(ディズニーのミッキーものに代表される短編漫画映画)の中でも、
静岡出身の私にとって、最も愛着のあるシリーズです。静岡では我が幼稚園時代から、夕方6時の再放送で数え切れない程繰り返し放映されていまして、
私の中では漫画映画の基本として刷り込まれております。
で、この「トムとジェリー」の中でもお気に入りNO.1が
「土曜の夜は」(原題 SATURDAY EVENINNG PUSS)
であります。
初期作品の常連キャラである、黒人のデブのお手伝さんが、
土曜の晩、宝石をじゃらじゃら身につけて颯爽とカードクラブに出かけたあと、
トムが悪友ノラ軍団面々を家に呼び込んで、鬼のいぬ間のスウィングジャズセッション、はじまりぃはじまりぃ、、、、、、。
以下、うるさくて眠れないジェリーと、ドラ猫軍団との攻防戦が延々と続くんですが、とにかく劇中流れるスウィングジャズ(だと思います。多分)がカーッコイイーのであります。
作曲家の名前を忘れてしまったのですが、「トムとジェリー」の魅力の大部分が、専属作曲家の音楽の力によると思っています。
カートゥーンの成り立ちは、そもそも「小唄漫画」という、当時の流行歌を下敷きに短編を作って、映画館で劇中歌を客が大合唱する、というジャンルが始まりなのだそうでして、
初期の「トムとジェリー」でも、そうした音楽に強く依存した部分が受け継がれているのが感じられます。

ワーナーからDVDシリーズがでていますが、上記「土曜の夜は」を含む3巻には他にも、ジェリーがマンハッタンで踊りまくる「ジェリー街へ行く」や、クラッシックコンサートの指揮者を演じる「星空の音楽会」など音楽の魅力で成立している作品が収録されております。
興味を持たれた方は是非、、、。

参考HPと補足
posted by めたろう at 16:12| 埼玉 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月09日

Mrインクレティブル

ずいぶん時間が経ってうろ覚えだが、Mrインクレティブルのレヴュー。

予告編その他からの情報では、何となく「日陰の身のヒーロー一家」みたいなイメージ。
TVブロスあたりの批評では「ヒーロー復帰で回春する中年夫婦」のイメージ。
が、それぞれ想像された。

実際はどうかと言うと。

なんか、すっごいストレートなヒーローものカートゥーン、って感じ。
作り手側は、ひねった設定で家族モノを装った企画で、
実際には新しいアメコミヒーローを本気でやろうとしてるんじゃないかなぁと思った。
「ヒーロー一家 誕生篇」て感じ。

もちろん、過去の色んなアメコミやヒーロー作品のパロディや、オマージュがいっぱい出てくるんだけど、なんか、CGとの相性が非常に良くて、テンポの良さとあいまって、とっても面白く、ノリノリで楽しめた。
ヒーロー一家のママはゴム人間で、ドアをすり抜けたり天井にアーチ型に密着して見張りをやり過ごしたりグニャグニャ活躍する。で、そのへんがエロくて良いっていう批評があったんだけど、俺には「ヒーローものとCGの相性の良さ」を象徴するキャラクターの様に思えたのだ。

フルCGアニメで今まで観たのは「モンスターズインク」「シュレック」位(後は失念)で、もちろんこの2本はとても面白かったけど、それはやっぱり第一にひねった話の面白さなわけで。
CGの質感や特性をよりよく生かす方向として、カートゥーンのスピード感やデフォルメをCGでやってみる、というのは大きな鉱脈なんではないかいな、と思うのであります。
(今回はカートゥーンの中でも主要なジャンルのアメコミヒーロー話で成功した、と)

例えば、俺の一番お気に入りの「トムとジェリー」、それも最初期の動きの愛らしさを追求していた頃の作品をリメイクしたら、凄く良いんでは無いかなと思いました。
最初の作品「上には上がある」や、「メリークリスマス」「ジェリー街へ行く」とか。(ただし音源は当時のままで)
中期のスピードに乗ったスラップスティック作品も面白いかも。
中期の作品には、ジェリーをとても女性的に描いたエロティックな描写(トムの手の中に捕まったジェリーの心臓がハート型にびよーんびよーんと飛び出したりする描写とか)が出てくるのでそういうアプローチで作品選んでも面白いかも。

CGアニメの隆盛には懐疑的だったんですが、やりかた次第だな、と今回は思いましたです。
posted by めたろう at 00:43| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月28日

ようやくRayレビュー

この週末は自宅で家事するか寝て暮らした感じ。
部屋の陽だまりの中でぬくぬくと、猫の様に暮らす。
怠け者だがこれでイイのだ。

アマゾン検索にボタン画像つける作業もやらず。
「Ray」のレビューも手付かず、、、、。
4日以上空けたくないので無理やりヤル。

ややネタばれ注意
posted by めたろう at 00:17| 埼玉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月03日

「ネバーランド」と「ビッグフィッシュ」

先日観た「ネバーランド」感想。
ネバーランドとビックフィッシュの類似と違い、、、、。

この「ネバーランド」、ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」と、テーマがかなりカブッてしまっていると感じたんだけど、どっちの企画が先だったんだろう。

 片や「稀代の大法螺吹き男」、片や「空想の世界に遊ぶのが大好きな劇作家」が主人公で、どちらにもそれぞれ「息子」や「ピーターパンのモデルの少年ピーター」が主人公を批判し、虚構の力を懐疑する存在として登場する。後者が身近な人間の死を潜り抜けて成長していくのが物語の大筋だ。
 どちらも、現実と虚構を行き来するような表現を多用し、クライマックスで、虚構が現実を乗り越える様が描かれる。
(しかも主演が「シザーハンズ」のジョニーデップときては、上映中どうしても「ビックフィッシュ」を思い出してしまう。)
 この、誠実で穏やかで聡明な「ネバーランド」にとっては誠に不幸な事ながら、この感想抱いた人間、多いのではないか。

 で、俺としてはやはり「ビックフィッシュ」の方が泣けたわけだが。
 では両者の違いとは?
 これはやはり主人公の設定の違いと、「息子」と「ピーター」の描かれ方の差によるものだろう。それがそのまま感情移入できる度合いの違いとなり、話の構成の違いにもなっている。

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posted by めたろう at 00:00| 埼玉 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月13日

04映画アーカイブ@

04映画アーカイブ
「イノセンス」「ドッグヴィル」「ビッグフィッシュ」「ヴィレッジ」「誰も知らない」「スウィングガールズ」「ハウルの動く城」

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posted by めたろう at 23:20| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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